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  • 2010.01.09 Saturday
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世論

 政治思想について、うだうだと思考を巡らすのが無駄だと気づいてしまった。
気づくといっても、「頭ではわかっている」というレベルでなく「肌で感じた」レベルで。
心が折れた。

“民主主義”という体制そのものが敵であるから。
“世論”に従うことこそ政治における正義だと、信じて疑わないのが民主主義体制である。

世論は99%正しくない。常に間違っているといっても過言ではない。
知識・知恵を世論に求めるのは筋違いもいいところだ。
数学界の難問を解決するために、数学者が大衆にアンケートを一度でもとっただろうか?
この新しい定理に反例はないでしょうかと、一度でも大衆に訊ねただろうか?
さて、返ってきた答えにその数学者は喜色満面なるだろうか?
愚にもつかない答えに、愕然とするのではないだろうか。

さらに悪いことに、世論は一時の感情で国政を変革しようとする。
ある政治手法を「時代にそぐわない」とか「古いから」という理由で廃した先にあるのは、
現在まで絶妙なバランスで成り立っていた既存の小社会が膝から崩れ落ちる様である。

しかも、世論を作り出すのは、きまってメディアである。
メディアは耳になじむ標語と誇張した一部の事実だけを与えて、大衆に刷り込みを行う。
批判能力のない大衆は、メディアの発する情報を大雑把に、そして誇張して受け入れる。
そのメディアも大衆の性格(無知、付和雷同、感情的)をすべて兼ね備えている上に、
グロテスクなまでに利己的に動く。しかも自身を正義と信じて疑わない。

大衆社会の現出に際して、保守思想家が感じとった危機感――愚かな大衆が国政を混乱に陥れる――この体現者は大衆ではなかった。より華々しい体現者はマスコミであった。世論誘導がそれを物語る。

以上を振り返ってみると、世論というものが 為政者への圧力のための道具に過ぎないことがわかる。

自分には批判能力があると慢心している人間の大半が以下の“平均人”である。

主要な論陣をいい加減に折衷して「景気回復は大事だけど国債発行はいけない!」と浅はかな結論を得る。これが平均人である。当人は何も気づいていないだろうが、平均人には何もできない。何も生み出せない。ただ玉とも石ともわからない情報に泳がされるのみである。簡単にメディアの手駒となる以上、国家の敵である。日本国民の95%は国家の敵と見て間違いない。

与えられていない、目に見えない情報を確実に取り込んでもなお、
つまり至るところで必要が叫ばれている健全なマスコミが誕生し、世論誘導が消え去っても、
世論は優れた方策を提案することはないだろう。今度は多数の人々が集まるために、
個々人の意見が平均化されることになろう。大衆の平均化とでも呼ぼうか。
平均化された案は、多くの人が共有をするためにレベルが著しく低くなる。
そして世論はレベルの低い提案を叫びながら、政府の方針には首を振るのだ。

平均人の特徴を(表面的に)よく備えているのが、情報番組のコメンテーターだ。
結局、彼らには何も際立った主張というものがないし、中学生が学校提出用に作文に書くレベルのものである。つまり、一般論と大差ない。いや、個性がまったくない点で一般論にも劣る。

オルテガが
「批評とは強力な個性に裏打ちされ、力強い肯定もしくは否定を行うものでなければならず、そうであって初めて、自ら律する力をもたない大衆に強い示唆を与えうるものであり、そうするためには批評家が距離を置いて対称を眺めるようなことがあってはならない」          (ちくま学芸文庫『大衆の反逆』より)
と述べたのはもっともなことだ。





世論は不必要だ。
リベラリストが正しい根拠はどこにもない。
政治・社会に関心がないのは悪いことだとする風潮には反吐が出る。
世論を盾に政治を動かそうとするマスコミには虫唾が走る。

激情に任せて 経済編

もちろん経済対策には財政出動が第一だが、民主党は無駄根絶を売りにしているからからなのか、
希代のバカだからなのか、財政出動をしない。選挙前にあれほど自民党が「財源が不明確」指摘したのに、そして実際マニフェスト破りが横行しているのにマスコミは民主には甘い。

景気が良くなれば」、税収は勝手に増える。小学生でもわかる論理だと思うのだが、それを理解できないのが鳩山。こういう言い方は嫌いだが、あえて言おう。ボンボンでぬくぬく育ったから何もできんのだろう。ここまで典型的な無能は見たことない!

国債を発行するのは悪だと、本気で信じてしまっているのも許せん。
財政赤字を覚悟で財政出動するのが筋というものだろう!財政支出を抑制するのは、景気を悪化させ、税収を悪化させ、景気を悪化させ、税収を悪化させ、景気を悪化させることになる。
今に日本経済の落盤が起こる。

マスコミもバカなのか、経済を回復させた政権を叩いて、経済の初歩の初歩も知らないボンクラを首相に祭り上げる。不景気をあおって、自らの業界の収益を落とす。
何がしたいのかわからん!
ついでに言っておくと定額給付金は目玉でも何でもない。ちょっとしたサービスだ。

前政権のバラマキを批判しておきながら、子供手当てというバラマキに税をつぎ込む。
狂っているじゃないか!

特に許せんのは、この子供手当てが、何の戦略にも基づいていないことだ。
金をくれたからといって、子供を増やそうなど誰も思わない。
これは誰がどう見ても、一時的な政策に他ならない。
「民主党政権はどうせすぐに終わる。」――これは国民の共通認識だろう。

麻生政権のバラマキは、経済回復のための手法であるが、
現政権のバラマキは、猿真似――それもかなり不出来な――でしかない。
ビッグマウスな、無能な、そしてマヌケ……こんな人間、コメディ作品にしか出てこないのではないか。

エコポイントの延長を私の手柄というのは、頭が悪すぎないか?
COP15では、結局 何の成果も無かったが、やはり「私の手柄」?
高速道路を無料化する――代わりに税を投入するんだから“無料化”じゃねぇだろ!これも猿真似。
最低時給を平均1000円にする――最低なのか平均なのかわからん。数値目標のくせに曖昧。人件費は真っ先に削られるものだというのに賃金上昇などありえない。政府の経済スキルを上昇してください。
経済回復を優先せねばならないときに、国益を無視してよくもCO2の25%削減など世界を前にして言えたものだ。経済回復と排出ガス抑制は両立しえない。
費用対効果という言葉を鳩山が知っていたら褒めてやろう。

それに、頭を使えば金のかからない経済対策もできないことはない。
例えば「新しく工場を建てる場合には、税金を3年間は取らない」とか、
「広告税をとる」とか「広告税をとる」とか「広告税をとる」とか。


【マスコミの他国への友好という迷妄/希望に反した反日】


 「“国家戦略局”という名前は戦前の軍国主義を連想させるから嫌だ」って、朝日がごねてました。
戦争を一番煽った新聞だったんですがね。…ともかく、マスコミを初め、日本の軍事アレルギーは異常と言えましょう。

特に朝日は  自衛隊は認めない、憲法9条は固持、地球市民構想…と、
現実を見ることができんのでしょう。少し考えればわかるでしょう。


「日本が軍隊を持つと他国に不安をつのらせることになる。」と、朝日はこれの一点張り。
「国家間の対立が起きる」などと言い出す始末だ。まさか田嶋陽子の言うような「日本は武装なんか考えずに、アジアの宝石になればいい。そうしたら攻めようなんて国はなくなる」…こんな考えをしているのだろうか。

本当のことを言うと、舐められているから争いを吹っかけられやすいだけなのだが。
他国による相次ぐ領空侵犯、それに領海侵犯も、自衛隊が攻撃してこないことを知っているからだ。
お飾りの軍隊など怖くもなんともない。戦争の抑止力にすらならない。
(抑止力については明日書こう。パックスシニカ、パックスアメリカーナ、MAD理論を簡単に説明すれば抑止力について理解してもらえるだろう。)


さて、反日国国では、こんなことが起こっている。
日本から暴利を貪るためには大義名分が必要であるから、すべて都合の悪いことは日本のせいにする。それがたとえ、国際的には正しくない大義名分でも、自国のマスコミに都合よろしく報道させれば国民を見方につけることができる。日本が弱腰を取れば取るほど、その反日国家の国民は「日本悪者論」に確信を抱く。

こうして、日本マスコミが“他国との友好”の名目で宥和政策を主張するにつれて、
逆に反日国家日本を生成されるのである。そして国益を逃し、日本の立場を不利に貶めていくのである。



最後に、感情で動く国もあることを伝えておこう。

反日体制を“つくってあげる”ことは、
100年後の日本の命を握りつぶす、国をつくりだしていることと同じなのかもしれない。

歴史の皮肉というやつかもしれん。後世の歴史家に、ああだこうだ言われたくはないが。

宗教におけるハロー効果の重要性/ハロー効果の重ねがけ/主観の正しさ

 少し前に、聖教新聞を読む機会があったので、楽しく読ませていただいた。
そして、ある記事に痛く感動した。ただし内容ではなく論法に。


テーマは、「ジョン・デューイと池田大作――新しきヒューマニズムの探究」
デューイ協会の以下の博士3人が、デューイと池田SGI会長の思想の共通性についてスピーチをしたとのこと。

デューイと仏法の思想は共鳴
SGI会長こそ社会変革の指導者

ミドルベリー大学名誉教授・ロックフェラー博士「池田会長は人々の精神的な覚醒に貢献」
デューイ協会元会長・ヒックマン博士「デューイは適応、池田会長は第3の道を通して社会と個人の変革を訴え

ています」
デューイ協会前会長・ガリソン博士「デューイと響き合う・人間革命、依正不二の哲学」



という見出しと共に、3人の大きな写真と、輝かしい経歴と、スピーチの訳が記載されていた。

この記事の面白いところは、執拗なまでにに“博士”とか“会長”といった言葉が出てくることである。
ハロー効果を狙っているのだろうことはすぐにわかった。そもそもデューイと池田大作を無理やりこじつけようとしていることも見え見えだった。著名人と池田を似せてもらえば得をするのは池田、創価学会員にデューイは“偉人なのよ”と伝えることもできてデューイ協会とやらも目的達成といったところか。

そして言うまでもないのだが、聖教新聞では池田は現人神のようなものだから、
記者は池田をすさまじく持ち上げる。ヨイショする。
ここまでハロー効果を幾重にも張り巡らせられると、感嘆の声が漏れてしまった。


「デューイ協会」は、2008年5月に池田大作(創価学会インタナショナル)会長を第1号の「終身名誉会員」に決定しました。これは創価教育の思想を広く世界に実践する池田会長の業績を讃え、同協会の理事会が全会一致で決めたものです。


ともある。何か黒い取引でもしていないものか心配になってしまう。


既に識者に言い尽くされた感があるが、残念ながら、宗教や文化や感情などの精神的な面には、
学歴及び知能はまったく関与しない。精神的な面では幼稚だったり、すぐに迷妄に囚われたり、あまりにも簡単に原則論者になったりすることはよくあることだ。
それにも関わらず、「インテリなら正しい判断をするに違いない」と考える人間がいるから、
インテリ層がプロパガンダの道具として重要視されているという事実を伝えておく。



また、かつてダライ・ラマが麻原[オウム真理教のトップ。死刑囚]を絶賛したが、
あとになって「麻原が何者なのか知らなかった。知っていたら会談はしなかった。
と悔やみながら発言したことをよく覚えておくといい。

麻原の(または彼のゴーストライターの)著作は世界愛に満ちている[らしい]。
ダライ・ラマが適当な人物であるとも考えられるが、周囲からの評判だけでは人を判断することはできないという良い例だろう。博士3人が池田を褒めちぎったとしても、断固無視しよう。



感情面では、自分の意思がすべて正しい。例外はありえない。

【民間防衛より/人格攻撃の例/中傷の奥の深さ】

 最も単純にして、最も効果がある印象操作は中傷である。
中傷について記述しよう。


スイス政府編『民間防衛』によると、
(註:『民間防衛』は戦争が起こると仮定した上で、その成り行きをシュミレーションしつつ、論じる。)

[敵国の目指すところは]政府と国民の離間をはかることであって、そのためには刃向かうものすべてを中傷し、それに対して疑惑の目を向けさせる必要がある、と考えている。…(中略)…国民が当局者を信頼しなくなったときこそ、[スイス]国民を操縦するのに最も容易なときである。


とある。([]内は私がつけた。)具体例として、

[敵の]工作とそれに伴う事態の推移:

1月15日 幾つかの新聞は、経済省庁間の国家に対する忠誠心を問題として取  りあげる。
1月18日 今や政府の実権を握る経済省長官に反対する痛烈なキャンペーンが始まる。
1月20日 経済省長官は辞任を拒否する。幾つかの新聞は、彼を攻撃する文書に疑いを抱く記事を発表する。
1月25日 X長官への攻撃が続く。彼の国家に対する忠誠心が問題化される。
3月15日 X氏事件は再び大きくなる。彼の秘書がスパイ容疑で非難される。
4月29日 社会進歩党[反社会的な政党]の執行部はゼネストについて語る。
4月30日 X氏ついに辞任。

国民は、もはや、だれの言うことが正しくて、だれの言うことが間違っているのか、わからなくなる。すべての裁判官は現在疑いの目で見られている。何が起こるのかわからない。



と、記述されている。

気に食わない者は中傷する。いたって単純な論理である。
しかしながら、中傷といっても「バカ」とか「ハゲ」とか「死ね」といった、感情的な、わかりやすいものではない。
××氏について「こういった事件を起こすとは○○の能力がない」とか「以前から周囲からは要注意人物と思われていた」とか「明らかな差別発言をした」とか、それが真実ならば“一国民として許せない情報”となって伝わってくる。

情報リテラシーを知らない人、知ってはいたがうっかりしていた人は こう思うことだろう。

「そんな人間は辞めさせてしまえばいいのに…」と。

与えられた情報には、常になんらかの意図がある。
中傷にも奥が深いこと、それを見抜くのはそれほど容易ではないことを、我々は覚えておかねばならない。


自由について

自由というものは、社会規範の下でのみ存在する。この条件を満たさないものはただの“無法”であり、時として処罰の対象となる。

極論を言えば「職業選択の自由」「表現の自由」「信教の自由」などは
すべて社会規範を侵さない範囲でしか認められない。ヤクザは認められないし、ゴシップも(大概は)認められない。カルト宗教も認められない。

「○○の自由」をスローガンに、既存の社会規範に反する権利を主張しようとする輩には、曖昧な態度はとってはならない。あなたが人並みの良心をもっているのなら、社会規範を肌で感じ取れるはずだ。ならば、あなたが違和感を覚える“自由の主張”は大抵は無法ということになるだろう
道義的には筋が通っているように見えてもなお、警戒する必要がある。

歴史書の罠/ダルクール言/中韓に学ぶ/歴史の嘘

いつ誰が言ったのか忘れたが、「歴史とは歴史家が我々に語りかける言葉に過ぎない」
といった言葉を何かで見た覚えがある。かなり尖ったものの見方だが、真実を表しているといえよう。
実感ができない人はベトナム戦争や朝鮮戦争についての戦史を読むとよい。いわゆる左寄りの人と右寄りの人の著書を見比べると、きっと奇妙な感覚を覚えることだろう。

しかし、ベトナム戦争などの戦史はまだマシだ。
著者自身が与える悪影響は、著者の名前をググってそいつの著作物ごと回避すればよい。
どうにもならない上に最も醜悪なのは、遠い過去の歴史だといえる。

なぜならこの手の歴史は、定説である以上、覆ることがない。
スターリンを名君として執筆すると非難が飛び交うだろう。

物理的な制約もある。30年もすればベストセラー本も絶版という時世なのに、ただでさえ読者の少ない人文書は何年出版を維持するのだろうか。歴史家連中の関心は時と共に他の事件へと移ってゆく。一人の史家が執拗に一つの事件を追及しようとしても、事件当時の資料は失われていく一方である。
(現在出版されているものに限定すると、私も第一次大戦の資料はほとんど見つけられなかった。普仏戦争の資料に至っては一つの発見もない。)




ダルクール氏によると、歴史におけるただの一戦闘においても、正確な顛末を知ることができないという。私もその考えに賛成である。以下は彼からの引用である。


将軍等(当然幾百の証言によって事情に通じている)が、公式の報告を伝える。
伝令仕官等がこの書類に修正を加えて、決定的な文案をつくる。参謀長が、それに異議をさしはさみ、筆を新たにして書きなおす。それが元帥のもとへ持って行かれると元帥は「諸君は、全くまちがっている!」と叫んで、そのかわり新たに文書をつくる。こうして報告の原型は、ほとんど残らなくなる。


我々に与えられる情報は、すべて不正確なものであるかもしれないということを極めて明瞭に示すと思われるので引用した。歴史に限らず、である。




さて、以上のように考えてみると
歴史認識がどうこうといった論争が争点になるなど、実に馬鹿々々しいじゃないか!
田母神論文が、あのような非難を受けるとは何事か。個人の自由というものだろう。
(自由について、そのうち書くよ!)




ドイツ降伏後の連合国側による史上空前の文書略奪を、正義のためとは言えようか?
降伏間近の日本に中立条約を破棄して突如南下したソ連も、正義なのか?
そんなわけがない。

シベリアでの強制労働、北方領土略奪、中韓の歴史捏造……日本が利用できる歴史も探せばいくらかはあるはずだ。中韓を見習って、国家が歴史に口出しするときは国益追求を第一に考えろ。
比較的最近の2007年末、オランダが日本に二次大戦時について謝罪と賠償を求めてきたように。

ちなみに歴史認識には正当性など一かけらも必要ない。
オランダの要求には、オランダの植民地経営については触れられていない。
中国の主張する南京大虐殺とやらでは、当時の南京市民の数より被害者の数のほうが多い。

これらは一体どういうことだと聞かれると、国益追求だと返そう。

(日本はドイツのような国家対個人賠償ではなく、国家間賠償の形をとっている。日本は戦後数十年にわたって技術協力・経済援助をしてきた。だから中国の要求はもう無視しても良い。この三段論法を世界に広めるという選択もあることと思う。)



畢竟、歴史なんてものはツールに過ぎない。対象の国から搾り取ればいい。
冷戦下、東西イデオロギーも対外戦争を正当化するツールに過ぎなかったのだ。

歴史、その他イデオロギー…使えるものは何でも使うべきだ。





弱い政治家/安倍首相と鳩山首相/ヒトラーの言/鳩山は用済み

マスコミも庇いきれなくなってきたようで、現政権の優柔不断さはもうワイドショーその他で叩かれ始めている模様です。(しかし、一国の首相に向かって、ワイドショーの不遜なことは目に余る!)
そのうち「何が鳩山イニシアチブか!」と、誰かが得意になってわめきだすことでしょう。

なにかデジャヴなような気がすると思えば、安倍首相と鳩山首相とが少しかぶる。
安倍首相は始めはマスコミに大いに持ち上げられたけれど、はっきりした発言が無いとかでマスコミから手ひどくバッシングを受けた。“弱い政治家”の烙印を押されていたと言える。
鳩山首相の行く末も、同じことなのかもしれないですね。明らかに野党時代と比べて声量が落ちた。
発言はしばしば意味不明。小沢の操り人形であることをマスコミはもう、隠そうともしない。
そのうち…と言わずに、すぐにでも首相の座を下ろされるのではないでしょうか。

指導者の必須条件として、指導力についてヒトラーが述べている。
『ヒトラーのテーブルトーク』より引用。

どのような活動でも、専門家が迷っているときは、それより上位のものが決断を下すべきである。
国家にはリーダーシップが必要で、主導者たちが躊躇すると権威は何もかも無に帰してしまうのだ。権威を与えられたものにとっては、決断を下すこと、その結果に対して責任を負うことは名誉なことなのである。
民衆は政府の犯す間違いは結構許してくれるものだ。間違いに気づかないことも多い。だが、決断力のなさや自信のなさには我慢できない。指導者たちが決断を下す責任から尻込みしては、民衆は不安になるのだ。したがって、権力の座にあるものはその決断について下位の者に批判を許してはいけない。


私はヒトラーの発言はすべて正しいと思います。
(『君主論』にも同じことは書いてありますが、たまたま手元にあったのでヒトラーの説を引用しました)

以下、私見。

鳩山首相の絶頂期は野党時代の揺るぎない、自信に満ち満ちた時であって、これからの人気は先細ってゆくだけでしょう。彼の「脱官僚」「政権交代」「無駄の削減」などなど、多くの力強いスローガンを生み出し、連呼する様が国民を熱狂させたのであって、発言のできない政治家・鳩山は既に大多数の国民にとって用済みになりつつあると思われる…。

普天間基地移設問題/問題の本質/よきせぬハッピーエンド

 こっちのブログで仲間と共にわいわいやってました。村雨です。
別に独立というわけではないです。そこらへんの経緯はおもしろい話でもないので割愛。


さて、さっそく始めましょうか。

近頃、米軍の普天間基地移設問題とやらが大きな話題となりました。
鳩山政権の結論としては、移設については当分先送りのようです。どこのニュースでもやってます。
日本の安全保障にかかわる重大事を先送りするとのことで、遺憾に思われた人も多いことでしょう。
私はむしろ歓喜しましたが。

なぜならば、この問題の本質は結論を先送りしたことではなく、
鳩山イニシアチブが皆無であったことでもなく、
新政権に“戦略”がないことである と、考えるからであります。
保守の立場ならともかく、変革の立場で戦略がないのですから、現政権は論外と言えましょう。
そのくせ、一時の感情で国の安全保障をいじるのですから。もう、目も当てられません。


そんなとき、私の耳に飛び込んできたニュースキャスターの声といったら!
「決定を先送りすることに決めた」――冗談かと思いましたよ。予定は未定ですか?
しかしながら、よくよく聞いてみるに、どうやら日本の国防に素人の手垢がつくことはないことがわかりました。うれしかったですよ。

皆さんも喜んでください。この問題に関する、コメンテーターの気落ちしたような解説は無視することです。